本音をいうこと。国際結婚にあたって意識したこと

妻と結婚する前から、強く意識していたことがあります。

できる限り、何かを感じたら、不満でも愚痴でも、本音をいうこと。
そしてその理由もいう。

今はもはや、意識する必要性がなくなったというか、むしろ意識しなくても、自然になってしまったかもしれません。

同じ国の人間ではない。
言葉も違う。

最初が肝心だと考えました。

最初に、理解しあうこと。

相手がこういうときどう思うのか。
なぜそう思うのか。

日本人同士だと言わずとも「わかったつもりになる」。
言わなくてもわかる関係。

それがベトナム人と日本人という関係であれば、「言わなくてもわかってくれよ」というのは暴力でしかない。

私の妻は日本語はかなりうまい方ですし、わからないことを理解しようとする努力もしてくれているとは思います。

でもやはり日本人ではないので、夫婦レベルで理解したいことにまでなると、ちょっとした「日本人的な」言い方では誤解を与えてしまうことがあります。

日本人的というのは、難しい日本語というだけではなく、露骨な表現をしたくない場合の遠回しな表現だったりです。

だからちゃんと理由、流れ、なぜ自分は今そう言うのか。
説明を繰り返すことで、「日本人だからかな」「ベトナム人だからかな」そういった勝手な納得は、一時しのぎにはいいが、最終的に心の壁を作っていくと考えた。
理解しないとならないと考えたのです。

ベトナム人ゆえなのか、本人の性格なのか。
勘違いなのか、言い間違えただけなのか。
一時的な感情なのか、どこまで本気なのか。

理解を繰り返して、「言わなくてもわかる関係」になるのは、自分たちがおじいさんおばあさんになってからでしょう。

愛があれば国が違っても理解できる、なんて自分は夢想家にはなれません。
結婚して一緒に生活するからこそ、国が違うから言わなければわからない前提で、理解しあう努力が必要だと考えた。

今のところ、その考えに後悔はないです。

というと綺麗事なんですけど。

けっこう私、自分、いじける方なので。

妻の祖父が亡くなった時に、妻の幼少から一緒に暮らしていた祖父ですので気持ちの部分でも、親類の手伝いで大変な時に、足怪我していたので手伝いもせずに寝ていた自分が、長時間放置されて寂しかった、という「本音」を言ってしまったりと。

まあなんか、「本音をいい合おう」を言い訳に、男らしくない自分本位の文句をたびたび言ってしまったりして。
自分が活用しているだけ…、かもしれないんですよね。

自己弁護ですけど、そういうとき、内心では引け目はありますよ。うわー自分、めめしいな、つうか自分自身そんな文句を言えるほど立派かよって冷静に見る自分がいて。
その葛藤を押し切って、伝えているんですよ。
それがどうした、っていう言い訳ですけど。
どういうときにどう感じるかは知っている方が、お互い気遣いがしやすいし、生活しやすいと思うんですよね。

でも理解しあうには語り合うことが必要というのは、これから国際結婚しようとしている人にも、自信を持っていえますよ。

かっこわるくていい。
自分のかっこわるいところを見せて、相手に理解してもらえって。
自分の弱いところを許容してもらえなかったら長い結婚生活なんてできない。
その代わり、相手が言いたいこともちゃんと聞けって。

他人には偉そうに言えますね。他人のことなんで。
考え自体は、そんな変な考えじゃないと思っているってことです。

妻が日本語がうまいから、自分自身の負担少なく、できることですけどね。
けっきょく自分は甘えているんです。情けない。

そんな結論にいたる、日々、日常。

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