海外で働く|部下には全部指示しないと動かない?

部下が受け身で指示待ち?

海外で働いて雇用したばかりの部下が受け身で指示待ち。

「ああ、これは国民性なんだろうな」

ちょっと待ってください。

本当にそうでしょうか。

まず、日本本社はすでに社風ができあがっているはずです。

これは確認をとらずにこうしても構わない、という慣習というなのルールが存在する。

それに対して、新しく集めたメンバーが主体的に動かない。

当然のことです。

勝手に動いていていいのかどうかもわかりません。

…ということなど、いろいろ原因の推測はできます。

しかし今回は、日本の「察する」文化に焦点を当ててみます。

日本の察することを美徳とする文化

日本は何も言わなくても、または少ない言葉から察することを美徳とする文化が以前からあります。

この風習は、現代の会社での働き方にも根強く影響を与えているように感じます。

「察する」ためには考え方を共通化しなければならない

少ない情報から「察する」ためには、考え方が共通していなければ成り立たないものです。

なので、必然、相手の考え方に合わせようという姿勢が身についていきます。

それは顧客、上司・先輩など、自分より上位に立ちやすい相手に「考え方」をあわせねばならないことになります。

説明しなくても高い品質で提供できるのはすごい反面…

少ない説明で相手の求めるものを提供できる…これはすごいことでしょう。

日本の経済が急成長した一因かもしれません。

しかしそれは、同時に、顧客・上司などの権威者に考え方をあわせねば仕事ができない社会を作ってしまいました。

上司の意図を汲むのは当然。顧客の意図を汲むのは当然。

権威者の傲慢を自然に育てることになった。

また、考え方を権威者にあわせるので、自分の意見など言えない。

結果、受け身とならざるを得ない。

詰め込み教育が受け身人材を育てたわけではないのだと思います。

「察する」ことでの責任逃れ

上司はどうするべきか具体的に明言せず曖昧なことを言い、部下が「察する」。

その結果を出した。

それに対して、上司は「自分はそんなことをしろとは言っていない」と言える。

その責任逃れのパターンもあるように思えます。

「察することによる」いい面

ここまでの書き方だと、悪い面を強調してしまいました。

良い面としては、

  • 想像力を養わざるをえない。
  • 基礎知識を身に着けざるをえない。
  • 少ない言葉でも仕事が進むので時間の短縮となる。
  • 決済者に従順なので組織としてはうまく機能する。

海外では通用しない「察する」文化

日本のその「察する」やり方は、そのままでは海外では通用しません。

必ずしも「察する」能力がないわけではなく、今まで身につけた基礎知識や習慣が異なる相手を察することなど、普通の人間には不可能です。

日本人同士で日本語を使うときのように、細かいニュアンスで文字数を省略などもできません。

言葉や人種が違う分、外国人の部下は意味の取り違えに対して慎重になります。
その慎重さに対して、「察しが悪い」と感じるか、「リスクヘッジができている」と感じるかは、日本人の上司次第です。

むしろ、外国人である上司を持つ部下に、コミュニケーション不足のまま「察する」ことを期待し、説明を怠るとすれば、それは上司としての怠慢とも言えます。

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